李小龍・・・・その1

わたくし、どうした訳か今、第二次ブルース・リーブームです。。

リーの代表作はたったの4本です。
1971~1973年の短い間に閃光のごとく輝き、今も色あせない巨星!
『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』『燃えよドラゴン』。
『死亡遊戯』未完成のまま逝ってしまったのも心底悔しいし、
もう少し色んなリーが見たかった。。

彼の華麗でスピード感溢れるアクション(ジークンドー)は勿論のこと、
コメディセンスも抜群だったし、聡明でもあった。
ハッキリ言って、珍妙なB級映画も、彼の素晴らしいカンフー、なんとも言えぬ魅力で
一級の輝きをもった作品になってしまう。。


嗚呼・・・・・やっぱり本物は良い・・・・

そこで、ざっと今更ながらブルース・リーの経歴を。。

父親が有名なコメディアンで、母親はドイツとのクォーター。(美人!)
だからリーにはどちらのDNAも受け継がれていたんでしょう。
お洒落でなかなかハンサムでしたし。。
本名:李振藩
1940年11月27日、辰年、辰の刻に生まれたから
小龍が芸名。
ドラゴンの由来です。

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子供時代は、映画に子役として引っ張りだこ!
特に不良少年役は上手かったらしい。。
で、本当に不良・・・?喧嘩ばかりしていました。
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ある日、自分よりずっとひ弱な感じの少年と喧嘩、
武術を身につけていたその少年に負け、悔しさから詠春拳を習う。
葉問(イップ・マン)師匠の弟子に。。。

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18歳のころ、余りの不良問題児ぶりに悩んだ父は、
リーに100ドルだけ渡し、渡米させ自立を命じる。

サンフランシスコのレストランに住み込み皿洗いや新聞配達をして学費を稼ぎ勉強!
ワシントン大学の哲学科に入学。
ダンスも得意でした。(チャチャチャコンクールで香港チャンピオンだった)、
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で、ダンス以上に好きだったのがやっぱりカンフー!
独自で編み出したジークンドーの道場を開き、弟子だったリンダと結婚。
彼女は同大学の真面目な医学生でした。
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彼の武道は例えば
フェンシングやボクシングなどの脚運びも取り入れ
実際の戦いで役立つユニークなもの。
老子のごとく
『水のような動き』
をモットーとし、
『型を学び、型を習得し、型を捨てる!』
『闘い自体に基準はない。表現は自由でなければならない。
解放の真理は、個々人自らが体験し、生きて、初めて現実となる。
ジークンドーは単なる名称に過ぎず、向こうに渡してやる船で、いったん渡ってしまえば、捨てていい。』

など、その哲学的な彼の教えは今のあらゆる格闘に通じる優れたものです。

背中を痛めて入院した時は、文才もある彼は
情熱的にジークンドーの本を三冊書いたのでぜひ読んでみたいなあ。

さて、あるトーナメント戦のデモンストレーションでの彼をTVが注目!

そしてTV『ロングストリート』、『グリーン・ホーネット』に出演。
視聴率は芳しくなかったけど、武道をするものから注目の的に。
スティーブ・マックィーンやジェームズ・コバーンなど
俳優達も彼の哲学と技に心酔し弟子に。。(同時に親友に)

アメリカでの生活は人種差別は受けたものの、彼に底知れぬ逞しさを与えました。
そして人種の壁を越えて人を魅了する人間性、武術で多くの友に慕われました。
特に男性には人気絶大!
自分の力で自己の持つ才能を与えたい。
この時期が一番自由でもあり幸せだったかもしれません。

1960年代も終わりに向かい、彼の人生の舞台は故郷の香港に。。。  つづく
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by mokkori_mattari | 2010-09-04 00:04 | ブルース・リーさんぽ